成長記録

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らんらん
らんらん
はじめまして!
当ブログを運営している”らんらん”と申します。
夜勤ばかりの生活に疲れ果てたアラサー看護師です。
このブログは、私がゼロからWEBマーケティングを学んでいく
過程を発信しています。

私の現在の野望は大きく3つ。

①1年後に独立し、看護師以上の収入を得ること
②2年後には月収100万円を達成して、将来への不安をほぼゼロにすること
③お金持ちになりたいという夢を叶えて、家族を幸せにすること

もちろんお金がなくても幸せにはなれると思います。
しかし私は過去、お金に関することでとても苦労をしてきました。

だからこそ、お金持ちになりたいという夢を捨てきれないのです。

看護師である私が「お金持ちになる」という夢のために
なぜWEBマーケティングを学ぼうと思ったのか、
経緯も兼ねて自己紹介をさせてください。

基本情報

・名前…らんらん
・誕生日…1990年8月31日
・血液型…O型
・職業…看護師
・趣味…お酒、筋トレ、
・性格…マイペース、極度のめんどくさがり
・家族…夫と2人暮らし

幼少期~小学生の頃:お金持ちへの憧れの芽生え

私は1990年の夏の終わりに東京で生まれました。

幼少期から家で一人で本を読むことが好きで、
家族が外出するときも付いていきたがらない子でした。

父親が仕事をコロコロ変えてしまうタイプの人間で

都内で数回転居

埼玉(数年間生活)

山梨(数か月生活)

沖縄

と引っ越しを繰り返す生活をしていました。
(あまり記憶には残っていませんが)

 

私が小学1年生のときに両親が離婚することになり、
母、私、妹、弟は再び埼玉に戻り、
4畳半+6畳の2部屋という狭いアパート
4人暮らしを余儀なくされました。

自分の部屋なんて当然ありません。
(高校卒業までそのアパートでの生活が続きます)

その当時弟はまだ1歳になったばかり。
当然母は働きに出ることができず、
私たち家族は生活保護を受けることになりました。

 

友達と遊ぶとき、友達の家に招かれることはあっても
自分の家に招くことはできません。

私は子どもながらに劣等感のようなものを感じていました。

その頃から私は、

「将来お金持ちになって広い一軒家に住みたい」

という夢を密かに抱くことになります。

中学~高校生の頃:憧れとプライドとお金

中学は自宅近くの公立中学に通いましたが、
高校は「制服が可愛いところがいい」という思いが強くありました。

公立高校では可愛いと思える制服がなく、
特待生制度があり授業料免除がある高校を選びました。

お金がないにも関わらず、
私が「私立の高校に行きたい」と言っても
母親が反対することは一度もありませんでした。
これは本当にありがたいことでした。

 

そして無事に特待生として都内の私立高校に
入学できたのは良かったのですが、
次に問題となったのは部活動でした。

私はテニス部に憧れて、1か月間仮入部をしました。
その後本入部を決める流れとなったときに気付きました。

テニス部ってラケット代、ユニフォーム代、遠征費用などなど…
信じられないほどお金がかかる!!

これは入部を断念せざるを得ませんでした。

その後私はお金のかからない部活動を探し、
合唱部に入りました。
(それはそれで楽しかったのですが)

希望の部活動に入れなかったこの一件で私は、

お金がなければ選択肢はかなり限られてしまう

ということを強く感じました。

そして「将来お金持ちになりたい」という思いは
さらに強くなっていきました。

 

当時、確実にお金持ちになれる職業を考えたときに
私の中では「医師」しかありませんでした。

そのため医学部のある大学への進学を目指すようになります。
しかしどう考えても学力が足りず、早々に断念…。

 

次に目指したのが「看護師」です。
その時は比較的お給料が良く安定した職業というイメージがありました。

ただし医学部への憧れを捨てきれない私は、
看護の専門学校ではなく医学部のある国立大学を受験することを選びました。

今考えてみると、浪人は絶対できない状況で
滑り止めナシの国立1校だけ受験というのは
なかなかのリスクをとっていたと感じます。

「落ちたら就職」なんてことは、なぜか全く頭にありませんでした。

 

センター試験で失敗したものの
なんとか国立大学には合格することができました。

大学生の頃:親からの支援ゼロの貧乏学生

大学に入学と同時に実家を出て、
家賃4300円という激安の学生寮での生活が始まりました。

仕送りなんてものは存在しないので、
月5万円の奨学金で生計を立てていました。

授業料免除制度を利用することで、授業料はゼロになりましたが
そうは言ってもお金はかかるものです。

教科書代、特に医学書はとても高額でした。
学生寮の先輩の中から譲ってくれる方を探して、
なんとか揃えることができました。

ですが、やはり月5万円では生活がギリギリ
やりたいことはほとんど何もできません。

大学生だし遊ぶお金もほしい!と思った私は
ファストフード店とラーメン店のバイトを掛け持ちで
行うようになりました。

 

しかし大学3年生の時にまさかの事件が起こります。

バイトで稼ぎすぎて大学の授業料が免除にならない

という事態に陥ったのです。

しかもそれがちょうど看護実習期間とかぶり、
バイトができない状況になった矢先の出来事です。

とても払えないと思い、大学に相談したところ
教育ローン等の制度を利用したらどうかと提案されました。

 

それを母親に伝えると、まさかの一瞬で却下

自分で頑張りなさい」
という風に言われただけでした。

 

私は今までにないほどの絶望を感じました。
「退学」という言葉が一瞬頭をよぎりました。
でもやるしかありませんでした。

削れるところなど、食費しかなかったので
とにかく食費を削りました。
優しい寮の先輩に食事をもらうようなこともありました。

 

そんなこんなでお金をやりくりし、
最終的には貯金したお金で

・運転免許を取る
・部活の合宿に行く
・大学の卒業式で袴をレンタルする
・卒業旅行で海外に行く

などのことが達成でき、私にとって自信となりました。

22歳~26歳:人生で初めてお金の余裕ができた、が…

無事に大学を卒業し看護師の国家資格を取得した私は、
とある総合病院で看護師として働き始めました。

新人看護師時代は、思い出したくないくらい大変でしたが
夜勤ができるようになるとお給料は激増

今まで手にしたことがない金額のお金を手にしました。
そうは言っても貧乏時代が長かった影響か、
あまり散財することはなく貯金も着実に増えていきました。

 

転機が訪れたのは本当に突然。
夏祭りに着ていくための浴衣を買いに着物屋さんに入った時のこと。
着物の試着を勧められ、店員さんたちは私を囲んでこう言いました。

「すっごくお似合いです!」
「素敵ですね~」
「着物は一生ものだから買って損はないですよ」
「このお値段ではなかなか買えませんよ」

そんな言葉を並べられて気を良くした私は、
気が付いたら数十万円もする着物を購入していたのです。

そしてその後も着物屋さんのイベントに誘われ、
行くたびに高額な着物を購入するようになってしまいました。

最初は一括払いで購入していたものの次第に貯金が無くなっていき、
クレジットカードの分割払いやショッピングクレジットを併用するようになりました。

それでも自分は、
『そこそこ収入があるから払えるだろう』
とめちゃくちゃ軽く考えていました。

しかし、お金持ちになりたいという夢からは
どんどん遠ざかっていったのです。

26~28歳:収入激減+借金でどん底を味わう

看護師として働く中で
だんだんと夜勤ばかりの生活に疲れてきました。

そして27歳の時に夜勤のない職場へと異動
朝起きて夜は寝るという規則正しい生活となり、
目まぐるしい忙しさからも解放されました。

しかし収入はというと
3分の2にまで激減
してしまったのです!
(異動前から分かっていたはずのことですが…)

その時、着物のローンは数百万円にまで膨れ上がっていました。

無知だった私は、月々の返済額を減らすために
リボ払いに手を出してしまいます。
更なる地獄の始まりです。

毎月毎月ローンを払っているようでいて、
返済すべき額はほとんど減っていかない。

「お金がない」が口癖になり、心の余裕も失っていきました。

当時、遠距離恋愛をしていた彼(今の夫)からも
経済的支援をしてもらわなければならないほどでした。

彼に会いに行くための交通費が出せないので
いつも会いに来てもらってばかりでした。
(今になって夫から「あの時のらんらんは嫌いだった」と言われてます…)

生きていくために
・維持費のかかる車は手放す
・食費はできる限り削る
・生活必需品以外は買わない
そんな生活を2年ほど続けました。

この時私は、

ある程度のお金がなければ幸せには生きられない

ということを再認識するようになります。

29歳~31歳:借金完済、再び夜勤ばかりの生活へ

29歳の時、彼と同棲をするために退職し
地方へ転居しました。

ありがたいことに
退職金で借金を完済することができました。

 

今までの経験から、

「もうお金で苦労したくない」

と思った私は再び夜勤を始めることにしました。

勤務先にも恵まれ、比較的楽しく仕事をすることができていました。
お金にも困らず、欲しいものはある程度買うことができました。

 

しかし数年勤めていると
自分より若い子たちが妊娠・出産していく姿を
見ることになります。

それを見て自分の中で少しずつ
焦る心が芽生えてきました。

今は収入の3分の1を夜勤手当に頼る生活
もし子供ができて夜勤ができなくなったら…?
また貧乏生活に戻ってしまうの…?

と思うと、だんだん怖くなってきました。

32歳~現在:WEBマーケティングとの出会い

私はまず、お金に関する自己啓発本を
片っ端から読み漁りました。

結果、何も変わりませんでした。

 

次に副業について調べます。

ポイ活に手を出してみましたが
1日数円~数十円しか増えない…
これはすぐにやめました。

 

ある時「インスタ運用攻略法」というコンテンツに出会います。
それを見てInstagramで健康系の発信を始めました。

数か月続けましたが、フォロワーは200人にも満たず。
しかも売る商品がないので、1円にもならず

ただの【インスタでの情報発信を趣味でやってる人】になっていました。

 

次に、数十万円を支払ってインスタ運用を学べるスクールに入りました。
そこでインスタ運用についての知識は身に付きましたが
コンセプトで迷走し結局長くは続かず。

自分には合わなかったと思い、結局半年ほどで辞めてしまいました

 

それでもインスタで収入を得ることを諦めきれなかった私は
100万円近く支払ってインスタ運用を学べる別のスクールに入りました。

本当に懲りない女です(笑)
例のごとく、長くは続きませんでした…。

 

しかし身に付けた知識は何か生かしたいと思い
クラウドソーシングサービスで仕事を探しました。

そこでインスタのいいね周りというお仕事をいただきました。

最初は1日15分程度でできる楽な副業だと思いましたが
だんだんといいねを押すアカウントを探すのに時間がかかり
最終的には1日1時間もかかっていました。

時給に換算すればわずか200円ほどです。

さすがに時間の無駄すぎる。しかもインスタ運用の知識も役に立たない。
と思って2か月ほどでやめました。

 

次にいただいたお仕事は
看護師アカウントのインスタ投稿作成代行です。

こちらは現在まで継続してやらせていただいており
ありがたいことに、追加のお仕事もいただけています。

 

しかしインスタ運用代行だけで大きく稼ぐ
というのは難しいものがあります。

何アカウントも運用すればそれだけ収入は増えますが
本業もあるので時間的リソースが圧倒的に足りません

どうすればもっとお金を稼ぐことができるんだろう?
そんなことをずっと考えていました。

 

そこで次に出会ったのがWEBマーケティングを学ぶスクールです。

そのスクールの講師の方はこんなことを言っていました。

今の時代「動画編集だけ」「ライティングだけ」「スライド作成だけ」
「インスタ運用だけ」「TikTok運用だけ」など
一部のスキルを持っている人は多くいます。
しかしそれらを全て網羅してこなせる人は少ないです。
さらにWEBマーケティングの知識を持って活用できている人はほとんどいません。

これを聞いて
「私が副業で稼げないのは
ほんの一部のスキルしか持ってないからなんだ!」

ということに気付かされました。

逆に言えば、
もしも様々なスキルを網羅してWEBマーケティングのスキルまで身に付けたらかなり貴重な人材になれるんじゃないか?
と思ったのです!

自己投資して失敗ばかりしてきた私に
一筋の光が差してきたように感じました。

 

めちゃくちゃ遠回りをしましたが
WEBマーケティングを学ぶというところに
やっと辿り着いたのです。

そして思い切りのいい私は退職を決意(笑)
7月で看護師を辞めることになりました。

私がWEBマーケティングを学ぶことで
1年後に在宅で看護師以上の月収を得られるのか
ぜひ楽しみにして見守っていただけると嬉しいです。

2年後には月収100万円を達成し、
経済的にも精神的にも自由で豊かな生活を送りたいと思っています。

そして幼い頃に抱いた
「将来お金持ちになって広い一軒家に住みたい」
という夢、必ず叶えてみせます!!

最後までお読みいただきありがとうございました。

2023.5.23 らんらん

 

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夜勤ばかりの生活に疲れて勢いで退職してしまった元看護師。 看護師が安心して夜勤を辞められるくらいの副収入を得るためには、どの副業がベストか検証中。